誕生の2004年

快進のICHIGEKI結成。
自主製作シングル[快進のICHIGEKI/ひび割れた弾丸]無料配布。

コータ(Vo.)と久雄(G.)は。小学校からの幼馴染で、中学卒業と同時に同級生達とBAND結成。
何度かメンバーチェンジを繰り返す中、知人Kの紹介で「高校1年で、X-JAPANを叩く男」として有名だった佑一(Dr.)と出会う。
それ以降「MIND FIXER」というBAND名で、西東京のライヴハウスを中心に活動。
2003年 秋。
「10代最後にデカイ事をしよう!」「インパクトある名前にしよう!」と、
当時19歳の3人は、他2人のメンバーと共にバンド名を「快進のICHIGEKI」と改め
「ティーンズミュージックフェスティバル」へ出場する。
地区予選~関東大会と勝ち進み、全国大会の舞台「渋谷公会堂」へ、立つ。
曲は快進のICHIGEKIの「快進のICHIGEKI」
*1.「快進のICHIGEKI」伝説のスラッシュメタルナンバーである。
ちなみに当時彼らの衣装は、新撰組のだんだら羽織であった。

結果は、出演バンドが選ぶ「あんたが大将」を受賞。
嬉しいのだが、何とも言えぬ恥ずかしさが同居していた。
「ティーンズミュージックフェスティバル」終了後、コータ、久雄、佑一はバンド継続する気満々であったが、他のメンバー(ギターとベース)が続々と脱退。
そこで、HPにてベース募集の告知を開始した。

潤(Ba)という男がいた。彼もまた学生時代からバンド活動に明け暮れた一人だ。メタリカとLUNASEAが彼の血となり肉となっている。
彼は、鬼の行動力とリーダーシップに溢れる人間で、10代の頃より既にツアー活動をしていた。
とある日、潤が先輩バンドのイベントに出演した際、対バンで目に留まったバンドがいた。
それが「ティーンズミュージックフェスティバル」出場直前の「快進のICHIGEKI」である。潤は、その後「ティーンズミュージックフェスティバル」へも足を運び、10代でスラッシュメタルを演奏する彼らに、より興味を持った。
その後、潤のバンドは解散をした。ICHIGEKIが3人になったと同時期である。
必然だったのだろうか、ベースを募集していたICHIGEKIに、彼の姿があった。

こうして、20歳前後にしてメンバー全員が出会った。
2004年初頭、新生「快進のICHIGEKI」が誕生したのである。

新生「快進のICHIGEKI」、コータ(Vo)、久雄(G)、潤(Ba)、佑一(Dr)の4人。
彼らの活動は、デモCD制作から始まった。
「名刺代わりになる音源」をまず作ろうと、無料配布CDを制作。
2月シングル「快進のICHIGEKI/ひび割れた弾丸」をDROP!
ひたすら配布の日々。同時に都内ライヴハウスを中心に活動開始する。
この頃より、衣装を快進のICHIGEKIオリジナル羽織袴へchange。
「LIVE Labo yoyogi」を拠点に活動する中、次なる目標は「ツアーに出る」

その為のアイテム、即ち音源の制作を開始した。